farewell life (music version)

懐かしのメロディー( 邦楽、洋楽 ジャンルは問わず )などをアップしていきたいと思います。基本的にはその日が命日のミュージシャン、作曲家など動画を交えて紹介してまいります。※敬称は略させていただきます。  亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。 尚、管理人の都合上更新ができなくなる場合がありますのでご了承ください。

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1957年7月3日 - 2004年8月26日 ローラ・ブラニガン Laura Branigan ( 歌手 )

2013.08.25

category : ポップス

ローラ・ブラニガン Laura Branigan ( 歌手 )

父ジェームスと母キャスリーンの間に生まれ、姉妹が2人、弟が1人いる。なお、祖母はオペラ歌手、母はラジオ局専属の歌手であった。高校時代に学校でミュージカルの主役を演じたことがきっかけで、卒業後はマンハッタンに移り住み、演劇学校(アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティックアーツ)に通い始める。当時、Meadowというバンドでボーカルを担当し、1973年にはアルバム『フレンドシップ』を発表している。1970年代後半、レナード・コーエンのヨーロッパツアーにバックボーカルの一員として参加したことを契機に、1979年にアトランティック・レコードと契約し1982年、アルバム『グロリア』でデビュー。同アルバムからシングルカットされた『グロリア』、また1983年にはセカンドアルバムからのシングル『哀しみのソリテアー』が大ヒットする。1984年には彼女の最大のヒット作となるアルバム『セルフ・コントロール』が発表され、西ドイツ、アルゼンチンなど多くの国で第1位に輝く。同年4月、シングル曲『ラッキー・ワン』が第13回東京音楽祭にてグランプリを受賞した。また、シングルカットされたアルバムタイトル曲『セルフ・コントロール』のプロモーションビデオは、その過激な内容からアメリカのMTVで放送禁止とされた。(のちに解禁された。)硬質なビブラートのかかる5オクターブのパワフルな歌声と大柄な体格を生かしたダイナミックなステージアクションで人気を博し、世界各地をツアーしてコンサートを行ったが、特にラテン・アメリカ、南アフリカでの人気は絶大だった。また、もともとバーブラ・ストライザンドに憧れてミュージカルを志していたこともあり、映画やテレビドラマ等の出演作も多数ある。

1993年にアルバムを発表した後、癌と闘う夫の看病に時間を費やすため活動を減らし、1996年に夫が他界した後は数年間活動を休止した。ショーを時々開催するなどして徐々に活動を広げ、2001年からはレコーディングにも取り組み始めたが、同年6月にニューヨーク郊外の自宅で藤をつる作業中にハシゴから転落し両大腿骨を骨折し、本格的な復帰が遅れる。翌2002年に音楽活動を再開し、オフ・ブロードウェイでのミュージカル『Love、Janis』にジャニス・ジョプリン(の歌唱)役で出演したり、アルバムのレコーディングを進めたりしていたが、2004年8月26日自宅にて脳動脈瘤により死去。47歳であった。なお、親しい友人達の話によると、死の数日前から頭痛を訴えていたが、夫の死から医療への不信を抱いており医者にかかることを拒んでいたとのことである。



      
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1948年3月19日 - 2004年7月31日 朱里 エイコ しゅり エイコ ( 歌手 )

2013.07.30

category : ポップス

朱里 エイコ しゅり エイコ ( 歌手 )

1972年に「北国行きで」でヒットを出したころから、実力重視ではなく、ヒット曲重視の日本の芸能界に疑問を抱き始める。 ヒットがなければテレビに出られない、なぜ自分は日本人に受けいれてもらえないのだろうか、ということに葛藤し続けた。

特にこの頃日本では、アイドル歌手が全盛の時代であり、周りから実力派といわれるようになってからも、人一倍努力を怠ることなく様々な経験を積んできただけあって、このギャップがさらに彼女を苦しめることになる。 ヒット曲がなかなか出ず、世間から忘れられてしまうのではないか、という焦りも付きまとった。

鬱病状態に陥りながらも、なんとかステージをこなしていたが、1983年6月に名古屋で3度目の失踪事件を起こしてしまう。 この後しばらく入院したが、彼女の復活を望む声は多く、また徐々に活動を始める。

しかし悲劇は続いてしまう。赤坂コルドンブルーに出演して1週間たったある日、開演時間を過ぎても会場に現れない彼女を心配し、関係者が品川区の自宅を訪ねた。すると部屋でパニック状態に陥り、苦しみ悶えている姿で発見される。彼女が精神科で出されていた薬と、直前に飲んだ栄養ドリンクが異常な症状を出すという、いわゆる薬の飲み合わせによるものだった。 結局この日の公演は中止になり、この事件で彼女は信用を失ってしまう。

さらにはストレスなどいろいろなことが重なり、肝臓病を患ってしまう。生きるか死ぬかという状態が続き、5年という長期にわたって入院生活が続いた。



      
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1948年1月25日 - 1988年7月31日 前野 曜子 まえの ようこ ( 歌手 ペドロ&カプリシャス )

2013.07.30

category : ポップス

前野 曜子 まえの ようこ ( 歌手 ペドロ&カプリシャス )

1965年、川村高等学校を2年で中退し宝塚音楽学校に進む。1967年、53期生として宝塚歌劇団ヘ入団。同期は54名で当時の芸名は弓千晶(ゆみ・ちあき)。1968年宝塚歌劇団退団。

伝説のディスコ赤坂「MUGEN」でゴーゴーガールを務める。宝塚時代に知り合った亀渕友香と「MUGEN」で再会し、リッキー&960ポンドに参加。翌1969年、『ワッハッハ』がヒット。この頃は西丘有里と名乗る。

1971年、リッキー&960ポンドと同じ事務所に所属するペドロ&カプリシャスにヴォーカルとして参加。

1971年10月発売の『別れの朝』が大ヒットし一躍人気・仕事の絶頂のさなかだった1973年、突然の脱退を発表して単身渡米もその後数ヶ月で帰国した。当時のあるテレビ芸能ニュース番組では「米国留学のため」と放送された記録が残っているが、脱退については1972年11月頃発売分の『週刊女性』では前野が深酒に因る仕事上の失敗を繰り返していた上、恋仲となった米国人男性の元への出奔、早期の帰国については1973年10月頃発売分の『週刊朝日』で恋人との破局や米国生活の限界が重なったのが原因との記事が掲載されるなど、具体的な面に触れた報道はなかったがいずれもすっきりしない脱退劇と前野にとって残念な結末を辿ったことが垣間見られた出来事であった。

帰国後は、事務所に所属せずマネージャーもつけずにソロとしてライブハウスなどで歌手活動を再開した。1976年に古巣のリッキー&960ポンドに復帰(のち3年間所属後再び脱退)。

1976年暮れごろから、前野の親友でもあり同じく若くして亡くなったジャズ歌手木村芳子 がリーダーで歌っていた六本木のジャズバー J&B <ロアビルの前、道路を渡った地下にあった>のバンド仲間に会いに夜よく顔を出していたが、当時は酒を飲んでいることが多かった。 この当時前野はここから歩いて15分ほどの赤坂小学校そば赤坂7丁目のマンションに住んでいて時折<鎌倉>から母が様子を見にやってきていた。

<また当時のある女性週刊誌の記事内で母が<大磯>から曜子の部屋を時折掃除しに来る、との記述があるが、少なくとも1977年当時は(母は鎌倉から時折来てくれる)と直接曜子から聞いた人物がいる。 そしてその後、草月会館裏近くの赤坂7丁目を経て80年代初頭には六本木に近い赤坂2丁目と住居を移した>

翌年1977年9月、リッキー&960ポンドとアルバム ABRAZAME を録音。このアルバムの中に収録された別れの朝 が最高の出来との評価もある。この名曲、名唱<別れの朝>はちなみに3バージョンある。

1976年から1977年にかけて前野は日本人ミュージシャンと付き合っていたが、その彼が8月初めに二度目の渡米で日本を去ることになった。 この翌月の9月に録音されたLP『ABRAZAME』の中の1曲<雨のエアポート>は前野曜子が作詞をしており、この別れの悲しみをこの歌に託した。 実はこの詩の中にその彼の名前が潜んでおり、一人になった寂しさゆえ彼の渡米後、前野は犬を飼い彼の名前をつけて呼んでいた。

(1979年8月14日発売の週間女性誌のインタビュー記事内で76年以前の生活について<黒人ミュージシャンとの交際中に、前野曜子はロサンゼルスで、一人の日本人青年と出会った。Xという二歳年下の若者も、彼女と同じように音楽の勉強に来ていた。黒人ミュージシャンとの交際、日本人青年との愛のなかで、彼女は人間として成長していった。、、>とインタビューに答えている)。

翌1978年春、前野は新しい彼氏、作曲家、アレンジャーのK氏と共にニューヨークを短期間訪れ、二人でこの元彼のロフトを訪ねている。 このK氏の力により角川映画出演が可能となり、復帰の大きな足がかりとなった(奇しくもこのK氏も1988年、40歳の若さで亡くなっている)。

1980年代初期には自己のバンドを組みリサイタルを行った。この1980年当時の住居は六本木近くの赤坂2丁目であった。このときのバンド仲間との何枚かの写真では、彼女の生き生きとした表情が見てとれる(この後間もなくして病床に倒れたようだが、この辺りから彼女の詳細を知るものが殆どいないのが実情のようである)。

1979年に映画『蘇える金狼』の主題歌(タイトル同じ)をリリース。同年末には『平凡パンチ』でセミヌードを公開する。1980年、映画『野獣死すべし』に、セリフのない役でカメオ出演。1982年から始まったテレビアニメ『スペースコブラ』(フジテレビ)のテーマ曲を歌っている。

しかし上記の通り芸能活動に復帰・継続はしたものの、前出のペドロ脱退の経緯や、前野自身アルコール依存など健康上の問題が愈々深刻化するなど、結局往時のような成功・活躍をおさめることはついにできないままに終わった。

1988年7月31日、持病の肝臓病が悪化し心不全により40歳の若さで死去していたことが、逝去から2年半以上後となった1991年4月頃発売分の『女性自身』で報道された。稀な美貌と歌唱力を持ち合わせ、デビュー時は業界・ファンからも期待されていた前野であったが、あまりにも寂しい晩年・最期であったことを窺わせた。墓所も不明である。



      
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1928年5月23日 - 2002年6月29日 ローズマリー・クルーニー Rosemary Clooney ( 歌手、女優 )

2013.06.28

category : ポップス

ローズマリー・クルーニー Rosemary Clooney ( 歌手、女優 )

ケンタッキー州メイズヴィル生まれ。幼い頃は妹ベティとともに祖父の市長選挙運動(市長選に3回当選している)で歌を披露することもあった。子供時代は不遇で、妹ベティと弟ニックとともに、アルコール依存症の父アンディ、婦人服チェーン店で働き、出張が多かった母フランシス、親戚らが代わる代わる面倒を見る形で育てられる。13歳の時、母親が船乗りと結婚し、弟ニックを連れてカリフォルニアに移ってしまう。残されたローズマリーとベティは父親と暮らすことになり、父親は娘たちのために真面目に働くようになるが、その父親も第二次世界大戦の終結を祝う晩に、家の金を持ち出して行方をくらます。極貧の中、姉妹はシンシナティのラジオ局のオーディションに合格し、1945年に「The Clooney Sisters」として歌手デビューを果たす[2]。数年後、姉妹は別々に活動するようになり、ローズマリーは21歳の時にニューヨークに渡る。

1951年に「Come On-a My House(家へおいでよ)」がビルボード・チャートで全米第1位になる大ヒットとなり、その後も「Mambo Italiano」などの世界的な大ヒット曲を連発する。

以降は歌手活動だけでなくテレビドラマやバラエティーショー、映画にその活動範囲を広げた他、1999年には地元のケンタッキー州で自らの名を冠した「Rosemary Clooney Music Festival」を開催し、以後、毎年開催するなど活躍を続ける。

2002年にカリフォルニア州ビバリーヒルズで肺癌により死去。



      
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1958年8月29日 - 2009年6月25日 マイケル・ジャクソン Michael Joseph Jackson ( ミュージシャン )

2013.06.24

category : ポップス

マイケル・ジャクソン Michael Joseph Jackson ( ミュージシャン )

「ポップ・ロック・ソウルの真の王者(the true king of pop rock and soul)」、または「ポップ界の王(King of Pop)と称される。ギネス・ワールド・レコーズでは「人類史上最も成功したエンターテイナー」として認定されている。

VH1が選ぶ最も偉大な100のアーティストで、ビートルズとボブ・ディランに次ぐ3位[1]。

ローリング・ストーンが選ぶ最も偉大なシンガー100人では25位[2]。

ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティストでは第35位。

「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第51位[3]。

2009年6月25日、自宅近くのカリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターに呼吸停止の状態で運ばれ、その後死亡が確認された。50歳没。



      
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