farewell life (music version)

懐かしのメロディー( 邦楽、洋楽 ジャンルは問わず )などをアップしていきたいと思います。基本的にはその日が命日のミュージシャン、作曲家など動画を交えて紹介してまいります。※敬称は略させていただきます。  亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。 尚、管理人の都合上更新ができなくなる場合がありますのでご了承ください。

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1954年10月3日 - 1990年8月27日 スティーヴィー・レイ・ヴォーン Stevie Ray Vaughan ( ブルース・ギタリスト、作曲家、歌手 )

2013.08.26

category : ブルース

スティーヴィー・レイ・ヴォーン Stevie Ray Vaughan ( ブルース・ギタリスト、作曲家、歌手 )

1954年10月3日、テキサス州ダラスに生まれる。

高校を中退した後、音楽家の道を志してオースティンに向かい、そこでジョニー・ウィンターの目にとまる。その後「ポール・レイ・アンド・ザ・コブラス」というバンドで活動を開始し、1970年代中盤までにシングルを3枚(2枚は「コブラス」名義)発売した。

1975年、「トリプル・スレット・レヴュー」を結成。結成時のメンバーは、その後兄ジミー・ヴォーンと来日もするルー・アン・バートン(ヴォーカル)、W.C.クラーク(ベース)、マイク・キンドレッド(キーボード)らであった。ちなみにクラークとキンドレッドは、後にスティーヴィーの持ち歌として知られるようになる"Cold Shot"の作者である。このバンドの2代目ドラマーとして加入したのがクリス・レイトンであった。

1978年、バートンがバンドから脱退。残されたメンバー、スティーヴィー、クリス、ジャッキー・ニューハウス(ベース)は「ダブル・トラブル」と名乗り活動を続行する。スティーヴィーがリード・シンガーも兼任するようになったのはこの時からである。ちなみにバンド名はオーティス・ラッシュの曲から採られている。

1981年、ベーシストが元ジョニー・ウィンター・バンドのトミー・シャノンに交替。

1982年、モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演。演奏を見ていたデヴィッド・ボウイ、ジャクソン・ブラウンに声をかけられる。この時の出会いが、後に彼が成功していくきっかけとなった。

1983年、デヴィッド・ボウイのアルバム「レッツ・ダンス」に参加。

同年、ジャクソン・ブラウンのスタジオで録音した「スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブル」名義で最初のアルバム「Texas Flood(ブルースの洪水)」を発表。50万枚を売り上げてゴールド・ディスクを獲得。またシングル「プライド・アンド・ジョイ」も、シングルチャートトップ20入りを果たした。

1984年、2作目「Couldn't Stand the Weather」(ゴールド・ディスクを獲得)を発表。

1985年、1月に来日。来日公演では発表を間近に控えていた「Soul to Soul」から"Say What!"も演奏される。

同年、キーボードにリース・ワイナンズが加入。3作目「Soul to Soul」(ゴールド・ディスクを獲得)を発表。

この後、麻薬中毒とアルコール中毒になり入院。麻薬中毒の治療は、ジョージア州アトランタで行われた。

1989年、4作目「In Step」を発表。グラミー賞(Best Contemporary Blues Recording)を獲得。

同年、ジェフ・ベックとともに全米ツアーを行う。(当時の『ギター・マガジン』誌によれば、ヘッドライナーはスティーヴィーで、観客の反応も圧倒的にスティーヴィーの方が良かったとされている)

1990年、8月26日、ウィスコンシン州イースト・トロイのアルパイン・ヴァレイ・ミュージック・シアターで行われたブルース・フェスティバルに出演。エリック・クラプトン、バディ・ガイ、ロバート・クレイ、ジミー・ヴォーンらと共演。終了後、シカゴ行きのヘリコプターに乗り込むが、8月27日未明にアルパイン・ヴァレイ・リゾートにあるスキー場のゲレンデに濃霧で視界を失ったヘリコプターが墜落、エリック・クラプトンのボディガードを含む乗員全員と共に死去。

事故の4日後、葬儀はダラスのオーク・クリフ地区で行われた。参列者は1,500人を超え、会場となったチャペルの外には更に3,000人が集まるという盛大なものとなった。参列者の中にはジャクソン・ブラウン、ドクター・ジョン、バディ・ガイ、ボニー・レイット、スティーヴィー・ワンダーらの姿があった。



      
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1937年2月11日 - 2010年7月22日 フィリップ・ウォーカー Phillip Walker ( ブルース・ギタリスト、シンガー )

2013.07.22

category : ブルース

フィリップ・ウォーカー Phillip Walker ( ブルース・ギタリスト、シンガー )

1959年からカリフォルニア州ロサンゼルスを拠点に活動。テキサス・ブルースの流れを汲むスウィング感溢れるサウンドを基調としながら、幅広い音楽性を聴かせた。



      
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1899年1月25日 - 1977年6月5日 スリーピー・ジョン・エスティス Sleepy John Estes ( シンガー、ギタリスト )

2013.06.03

category : ブルース

スリーピー・ジョン・エスティス Sleepy John Estes ( シンガー、ギタリスト )

エスティスの本名はジョン・アダム・エスティスといい、テネシー州リプリーの小作人の家庭に16人兄弟の一人として生まれた。生年には1899年説の他、1904年説もあり、正確なところは不明である。幼少期より畑仕事をしてすごした。

6歳のころ、野球をしていた際に友人の投げた石が目に当たるという事故に見舞われ、右目を失明。もう一方の目にも障害が残る。

やがて幼いエスティスは音楽に興味を持つようになり、父親よりギターを習う。自分で空き缶などからギターを自作し、人前で演奏するようになっていった。15歳のとき、家族とともにブラウンズヴィルに移住した。

初レコーディングは、1929年、メンフィスで行われたビクターのセッションだった。このセッションには、既に後の盟友ヤンク・レイチェルが参加している。エスティスは、翌1930年にかけて、数回に渡るレコーディング・セッションを経験し、"Diving Duck Blues" などの作品を生むが、その後暫くレコーディングの機会には恵まれなかった。

しかし1934年エスティスはシカゴへ移住。翌年ハミー・ニクソンとともにデッカ・レコードのセッションに臨んだ。これ以降、頻繁にレコーディングをするようになり、徐々に人気も得るようになった。1937年と1938年には、ニューヨークでのレコーディングも経験している。

その後も活動は続くが、カントリー・ブルースの人気が下火になったのを受け、1941年のブラウンズヴィルでのセッションを最後に、彼は音楽活動から身を引いた。故郷ブラウンズヴィルで再び小作人としての生活に戻ったとされている。

1948年にオラネル、1952年にはサン・レコードで単発的なレコーディングをしたものの、活動の再開にはつながらなかった。

1962年、エスティスはカントリー・ブルースの人気が再燃する中で研究者たちによって"再発見"され、再び演奏活動をするようになった。この頃には、彼は以前は見えていた左目の視力も失い、全盲となっていた。彼はニューポート・フォーク・フェスティバルなどに出演し、デルマーク・レコードから新作アルバムも発表した。1964年のBroke and Hungryには、デビュー前のマイク・ブルームフィールドが参加している。1964年と1968年には、ヨーロッパ・ツアーも行った。

1970年代に入ってもエスティスの活動は続いた。1972年には、ライ・クーダーのアルバムBoomer's Storyに参加。"President Kennedy"を歌っている。

日本でもブルース・ブームが起こり、1973年には彼のデルマーク盤The Legend of Sleepy John Estes(邦題「スリーピー・ジョン・エスティスの伝説」)がオリコン・アルバム・チャートに食い込むヒットを記録した。
この人気を受け、1974年には「第1回ブルース・フェスティバル」出演のため、ハミー・ニクソンとともに初来日。カントリー・ブルースマンの来日公演は、このときの彼が初めてであった。二人は1976年12月にも再度来日を果たし、「BLUES is A-LIVE JAPAN TOUR 1976」と銘打ったツアーで憂歌団と日本各地で共演した[5]。このときの音源はライブLPBLUES is A-LIVEとしてリリースされ、のちにビデオ化もされている。

エスティスは来日公演の僅か半年後の1977年6月5日、脳梗塞により死去。テネシー州ダーラムヴィルのエラム・バプティスト教会に埋葬された。



      
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1915年4月4日 - 1983年4月30日 マディ・ウォーターズ Muddy Waters ( ブルース・シンガー、ギタリスト )

2013.04.28

category : ブルース

マディ・ウォーターズ Muddy Waters ( ブルース・シンガー、ギタリスト )

シカゴにおいてエレキ・ギターを使ったバンド・スタイルのブルースを展開し、シカゴ・ブルースの形成に大きな足跡を残したことから、「シカゴ・ブルースの父」と称される。生涯に6度グラミー賞を受賞し[1]、没後の1987年にはロックの殿堂入りを果たした。

その豊富で深淵な声、豪快なボトルネック・ギター、カリスマ的キャラクターで、ブルースの第一人者のひとりとなった。ロック界においても、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、ロリー・ギャラガー、ポール・ロジャース、 ザ・バンドなど、彼から影響を受けたミュージシャンは多く、その影響力は計り知れない。



      
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1966年3月25日 - 2008年3月2日 ジェフ・ヒーリー Jeff Healey ( ギタリスト、シンガー )

2013.03.01

category : ブルース

ジェフ・ヒーリー Jeff Healey ( ギタリスト、シンガー )

パトリック・スウェイジ主演の映画「ロード・ハウス」(1989年) に出演し、それがきっかけとなりアリスタ・レコードと契約。1988年にアルバムSee the Lightでデビューを果した。

アリスタからは、ジェフ・ヒーリー・バンド名義で計4枚のアルバムをリリースした。その後は、トラディショナルなジャズの作品も手がけている。また、地元トロントでは自身のクラブ"Jeff Healey's Road House"を経営。またラジオのDJも務めた。

2007年にはガンを取り除くために脚と肺の手術を受けている。闘病生活を送りながらも演奏活動は続け、2008年に久々のブルースロック・アルバムMess of the Bluesを完成させた。そのリリースを目前に控えた2008年3月2日、トロントのセントジョセフ病院にてガンのために亡くなった。41歳だった。



      
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